平野区に関わる「畠山政長」

皆様、こんにちは。

小川鍼灸整骨院のスタッフブログです。

昨夜は大荒れの天気でしたね。今朝もぱらっと雨が降り、今日一日大気が不安定な感じですね。気温もそんなに低くないのに曇っているせいか、肌寒く感じます。

今日の平野区の花粉はスギ中心にやや多い予報です。花粉症の私も昨日が少なかったせいか、今日の症状は少し軽く感じます。が、目がとても痒くてとても腫れぼったく感じます💦

 

前回、「畠山政長の墓」について調べてみましたが、畠山政長はどんな人物なのかと思い調べてみました。

名称や歴史を調べていると、畠山政長は学生の時に教科書によく出てきた「応仁の乱」を引き起こした人物です。

 

 

畠山 政長はたけやま まさながは、室町時代後期から戦国時代前期の武将・守護大名です。室町幕府官領、河内・紀伊・越中・山城守護。足利氏の一門畠山氏出身です。畠山持富の次男で政久(弥三郎)の弟。妻は京極持清の娘。子に尚順(尚長)。お家騒動で従兄の畠山義就と争い、応仁の乱を引き起こしました。

 

畠山政長
時代 室町時代後期 –戦国時代前期
生誕 嘉吉2年(1442年)
死没 明応2年閏4月25日(1493年6月9日)
別名 次郎(通称)
戒名 実隆寺殿
墓所 大阪府大阪市平野区正覚寺
官位 従四位下尾張守、弾正少弼、左衛門督
幕府 室町幕府官領、河内・紀伊・越中・山城守護
主君 足利義政→義尚→義材
氏族 畠山氏(河内畠山氏→尾州家)
父母 父:畠山持富
兄弟 弥三郎(政久・義富)、政長、某、某
京極持清の娘
尚順(尚長)

 

畠山政長の墓

所在地:大阪市平野区加美正覚寺2丁目-6
最寄駅:JR大和路線「平野」下車、駅北側の道を東へ約800m、
「正覚寺1丁目」バス停の手前の道を北へ約300m

 

 

 

 

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