タイ・パバナプ(エイズ寺)訪問記

タイ・パバナプ(エイズ寺)訪問記

01 鍼灸・柔道整復師(鍼灸院・接骨院で働く者)が
なぜ勉強のためにタイ・パバナプ(通称エイズ寺)へ行くのか?

Aさん:「え!お盆休み長いねー、先生、海外旅行でも行くの?」
小川:「すみません・・、タイへちょっと勉強に・・・」
Aさん:「え?タイ? 家族も?」
小川:「いえ、僕一人で」
Aさん:「マッサージの勉強?」
小川:「ああ・・、それもですけど・・、エイズの患者さんを見学しに・・」
Aさん:「え!エイズ? なんで?」
小川:「それは・・・・・・・」

上記の会話はお盆休みに関して多くの患者さんと行われた代表的なものです。整骨院で働く者がタイで何を学ぶことがあるのでしょうか?多くの患者さんもこのように考えていると思います。日本の鍼灸院・整骨院では、制度的にはエイズ患者さんを治療する機会はありません。しかもたった4日間(ボランティアは実質2日)しか滞在しないのです。それにもかかわらず私はタイへ行ってきました。患者さんから長い期間のお休みを頂いたのですから、私には「なぜタイで勉強するのか」を説明する義務があると思います。

02 出発前の機内にて

出発 前日は仕事を終えて家族に迎えにきてもらいました。帰宅途中、車中での妻との話の中で、ある目上の知人が私のことを「貴司さんはそんなに頑張って大丈夫な のか?」という話をしていたと聞きました。この人は私が仕事をしながら通信制の大学に所属し、またタイへ勉強に行くことなどを大変疲れるだろうと心配してくれているのです。妻はそのおじさんに対して、「あの人は本当に幸せだと思います、だって好きな仕事をして好きな勉強をしてしかも海外まで行けるなんて」 と言ってくれたそうです。私はそのように感じてくれる妻に感謝の気持ちが湧きました。私もそのように感じているし、妻も同じように考えてくれているとわ かったからです。

妻は普段から私のことを本当に支えてくれています。私は家族の一員でありながら仕事と勉強だけすればいいのですから。私は本当に幸せ者です。また、子供たちに も感謝します。彼らは私の疲れを、私と妻が教えた「変な顔」で吹き飛ばしてくれるのです。そして、私の勉強と仕事をアシストしてくれる奥先生に感謝しま す。現在、スタッフを募集していますが、なかなかよい人材が見つからずに奥先生の負担は大きくなっているのです。その負担にもかかわらず奥先生は、嫌な顔 一つしてくれません。本当に有難いです。

最後になによりも、このような私の生活を支えてくれる患者さん皆様に感謝します。私の元に通って頂ける患者さんがいらっしゃるからこそ、私は勉強と仕事に励む ことができます。このような充実した生活を送れるのは患者さんがいるからです。本当に感謝致します。その他、多くの人たちが私を支えてくれています。ありがとうございます。

03 旅の目的

今回の旅の目的は「治療者(私)にとっての常識」や、「治療者(私)が今まで学んできたこと」が絶対ではないと身をもって経験することです。つまり今私が知り、考えていることが全てではない、自分が見ている現実の外側にも自分の知らない現実が同じ時間の流れの中で進行していることを感じるためです。これは ちょっと哲学的なこだわりかもしれません。

整骨院で勤める私になぜそのような、哲学的なことを感じる必要があるのでしょうか?私はこのこだわりを、人の体のしくみやケガ・病気を勉強すること以上に重要なことだと思います。なぜなら患者さんが感じる痛みや体の不調には、治療者が勉強してきた理論(医師が勉強する現代医学や鍼灸師が勉強する東洋医学の理論)だけでは解決できない問題がたくさんあるからです。つまり、治療者の理論では見えないところに患者さんの症状がある場合が多く、そのため治療者には解決できないことが多くあるのです。治療者が、患者さん独自の症状の感じ方を軽視して「自分に見えること(理解できること)だけが正しい」と考えれば、その時点で治療者が治すことのできない多くの患者さんを見捨てることになります。

例えば頭痛や肩こり、腰痛・体のだるさ・手足のしびれを感じて病院や診療所を受診した患者さんは、「検査の結果、何も異常はないです。大丈夫ですよ」と一方的 に言われ、自分が納得できる治療を受けられないことが多くあります。実際に患者さん自身が痛みや苦悩を感じているにもかかわらずです。この場合、現代医学 の理論では患者さんの問題を解決できないといえます。このことは東洋医学の理論でも同じです。東洋医学の理論は慢性的な症状に効果があるといわれますが、 必ず効くというものではありません。もちろん、多くの患者さんは治療者が勉強してきた理論の元によくなっていくと考えられるのが普通です。しかし、理論の通りに症状が改善しない患者さんも実際には多くいらっしゃるのです。

私はこのような患者さん、つまり、「他の先生の治療では満足できなかった患者さん」に満足してもらいたいと考えます。そのためには患者さんの症状を、私が今まで勉強してきた理論の通りに把握するのではなく、患者さんが感じ、考えるままに把握する必要があるのです。

患者さんが感じるままに患者さんの症状を把握しようとした場合に私は「無」にならなければいけません。そうでないと私は、患者さんが訴える症状を自分の過去の経験や勉強してきたことから分析し、自分なりに解釈してしまうことになります。つまり私は「無」にならないと患者さんの感じるままに症状を把握することはできなくなるのです。

現在の私は完全にそのような態度を完全に守れているわけではありません。まだまだ勉強中です。よって、患者さんの症状をどこまで患者さんが感じるままに解釈できているのかわかりません。しかし私は、できるだけ患者さんが感じるままに患者さんの症状を感じたいと考えております。そのためには、「自分は専門家である」という考えを状況に応じて捨てることができるように努力しています。つまり私が今まで勉強してきたことが全てではない、絶対的ではないという「無」の態度を状況に応じてとることです。そのことを、身をもって経験するために今回はタイへ行ってきました。(注 意:もちろん今までの知識が患者さんを楽にする最もよい方法であることもたくさんあります。その場合には今までの知識を総動員します。例えば私には次のような経験があります。それはある整形外科で漫然と治療されていた患者さんの足首の痛みを、私は過去の経験から足関節不安定症と疑い、別の整形外科へ紹介した結果、患者さんは手術療法で満足されたという経験です。)

タイ では私の常識(私が育った文化の考え方)では考えられないような現実が沢山ありました。特にパバナプ寺(エイズ寺)では、最先端の医学でも研究の対象とされるエイズ病者が現代医学の常識では考えられない環境でケアされ、そして多くの方がタイの宗教観の中で死んで逝きます。つまり、私が感じる常識は日本の文化の中での常識であり、世界にはいろんな基準の常識があるということです。そういう意味ではこの旅で多くのことを学びました。

 

今回の旅では多くのカルチャーショックを受けました。そのうちの一つは食文化です。左の写真は調理されたサソリです。私はこれを食べました。カラッと油でよくいためているので臭みなどはありません。サソリは食べ物ではないというのは私たちの文化の常識であって、タイの常識では立派な食べ物なのです。鈴木先生 は「どの虫も味付けが同じなので同じ味がする」と言っていました。

 

コオロギのようです。

 

サソリのしっぽが口から出ています。

 

この太った野良犬は死んでいるのではありません。道端で寝ているのです。全ての生き物に慈悲深いタイ人の国民性が野良犬を太らせるのでしょう。つまりえさをもらう機会が多いのです。もちろん他の犬も太っていました。

 

この親子は路上で生活しているのでしょうか。物乞いしている母親の横で子供は眠っています。小銭を渡して「写真を撮っていいか」と鈴木先生に通訳してもらうとすぐにOKが出ました。写真を撮っていいかと考えるのは日本から来た私の倫理観からですが、彼女にはそのような倫理観よりも生きるためのお金が必要なようです。

 

このトイレは一見して水洗便所のように見えます。しかし、水洗ではありません。便器の右にある黒いバケツに水を貯めておき、用を足した後には洗面台の奥に置いてある容器でバケツの水を汲み、うんちや尿を流します。お尻の始末には紙は使いません。左にあるホースの先はシャワーになっていてそれでお尻を流します。流した後はタオルでふき取ります。私は慣れるまでにもう少し時間が必要と感じました。

04 旅のきっかけ

今回の旅は、一人の文化人類学者のご好意にて実現することができました。先生の名前は鈴木勝己といいます。私の先生です。先生はパバナプで6ヶ月ボランティアをしています。

私は 現在、早稲田大学人間科学部通信課程健康福祉科学科で5年生(1年留年)でありますが、ヘルスプロモーション論というゼミに所属しています。このゼミでは主に人間が行う世界中の医療について、広く深く考えます。そのような学問を医療人類学といいます。私には医療人類学の研究者である准教授の辻内琢也先生と 教育コーチの鈴木先生というお二人の先生がいます。鈴木先生は現在、千葉大学の博士課程に在籍中で研究のためにタイに滞在しながら、早稲田大学で教育コーチをなさっておりますが、私の卒業論文の指導者が鈴木先生なのです。鈴木先生が研究の一環として大阪に来られた時に私は、先生とお話する時間を頂いたので すが、その中でタイ行きが具体化しました。

 

アイはゲイです。タイではレディーボーイともいうそうです。私は、アイが先生を見る態度に恋心を感じました。鈴木先生はそれについて戸惑うことはありません。鈴木先生はタイのゲイカルチャー研究の中で、我々が持つ性の常識とは全く違う常識を身に付けているのです。つまり男性が、女性になりたいと考えること や男性に好意を持つことに違和感を持ちません。自文化の既成概念に囚われないのが文化人類学者なのです。

私が是非ともタイへ行きたいと考えたのは、それより以前、お二人の先生方とお話したときに、つぎのようなお言葉を頂いたからでした。「小川はまだ、自分の考えていること(自文化)が合理的で絶対的だと思っている。一度、異文化で人が死んでいくところをみてみる必要がある!」つ まりこの言葉は、自分の中の常識では理解できないようなことが人の営みの中では起こりうるということを、異文化(よその国の常識)を通じて経験する必要があるということです。それを劇的に経験できるのは、人間の生死にかかわる常識の違いを異文化で感じることなのかもしれません。

05 タイのエイズに対する偏見とパバナプ寺(エイズ寺)の存在

タイのエイズについては、パバナプ寺で2度にわたるボランティアの経験を持つ谷口恭先生が「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ.文芸社 2006」と いう本の中で紹介されております。谷口先生は大阪梅田で開業されているお医者さんです。私はタイ訪問までに先生と2回お会いする機会を頂きました。谷口先生は医学部進学までに社会学部を卒業されているという変わった経歴の持ち主です。私はタイのエイズについて精通しておりませんので、先生の本の内容に基づいてタイのエイズ事情について少々記述させていただきます。

タイではエイズに対する偏見が大変根強く、それは日本にもかつて存在したらい病のようなものだそうです。またエイズは本来、危険な性行為などに注意すれば日常的な接触(例えば体の接触はもちろん、汗や唾液・尿や便に接触すること)ではほとんど感染しないのですが、感染経路に対する無知がエイズの偏見を大きくしているといいます。

タイについた日の夜。パバナプ寺の状況を見る前の私はエイズについて偏見のかたまりだったかもしれません。夜の人ごみの中に少々痩せた人を見ると「あの人、 エイズとちがう?」という目で見てしまいます。しかし寺を見学し、エイズ患者さんの「生」に直面すると街中で単純にそう考えることは出来なくなりました。 寺でエイズ患者さんの人生の重みに触れたためです。

そのような偏見のために、家族の中でエイズ患者が出るとその家族はその土地で生活できなくなるそうです。こうしてタイのエイズ患者さんは家族と生活できなくなるといいます。このことが全ての事例に当てはまるかどうかはわかりませんが、大方はそのように理解されているようです。では、エイズに対する病院の態度は どうでしょうか?実は病院もエイズ患者さんの受け入れには消極的だそうです。なぜなら、エイズ治療の薬がなく、治療の手立てがないからです。それに加えて 上記の社会的な偏見もあるのでしょう。最近はその傾向も薄れてきたそうですが、少し以前までは欧米の製薬会社が開発したエイズの治療薬に多額の特許料がかかっており、比較的貧しい国のタイはその薬を使えなかったそうです。つまりタイのエイズ患者さんは家族ばかりか医療制度にも見捨てられ、行き場を失うので す。そしてエイズ患者さんを受け入れるパバナプ寺にたどり着くのです。(パバナプ寺のエイズ患者さん受け入れについては後述します。)その一方でタイの文化を研究する鈴木先生のお話によりますと、敬虔な仏教徒であるタイ人の中にはお寺で生涯を終えることを大変名誉なことと考える習慣があるそうです。そう考える人たちは病院や家庭よりもお寺を好むといいます。それぞれの背景によってエイズ患者さんはパバナプ寺へ行くのです。いずれにせよこのエイズホスピスはタイの深い宗教観に支えられています。パバナプ寺とはいったいどのような寺なのでしょうか。

 

タクシーの中で写真を撮りました。フロントにはお守りの置物があります。

 

そして天井には護符、

 

手の甲には護符としてのいれずみがあります。信心深さが伺えます。

06 世界最大のエイズホスピス、パバナプ寺

 

ロッブリーの街中。これも遺跡でしょうか?バンコクと比較すればここは片田舎のように感じられます。

 

大通りからパバナプ寺へ向かう一本道。この道にエイズの子供が捨てられるということがあるそうです。

 

道路から見えるパバナプ寺。畑の中の道を通って山の中にあるのがわかります。

1980年代の終わりごろよりタイではエイズを発症する人が急増し、社会問題になっていました。上述のように家族に見放され、医療にも見放されて行き場を無くしたエイズ患者さんは、お寺にたどり着きました。そして、パバナプではエイズ患者として住み着く人が多くなり、結果的には1992年からエイズホスピスとして始動したということです。このホスピスの発起者はアランコットさんという農学博士で、彼はパバナプで僧侶になる修行をしていたそうです。彼はこのような状況に必要性を感じてエイズホスピスを設立したのでしょう。

ちなみに、広辞苑によるとホスピスとは、「宗教団体などの宿泊所の意」という記述があり、その他、「癌などの末期患者の身体的苦痛を軽減し、残された時間を充実して生きることを可能とさせるとともに、心静かに死に臨み得るよう幅のひろい介護につとめるための施設」とあります。病院との違いは治療を目的とするのではなく、残された時間を充実させることを目的とすることです。谷口先生は著書の中で、400床を持つエイズホスピスは世界に例を見ないとしてパバナプ寺を世界一と表現しています。

この施設は基本的にお寺ですので運営資金は寄付でまかなわれています。谷口先生によると、運営資金は月に600万円ほど必要だそうですのでその資金をまかなうには工夫が必要です。実はこの工夫がパバナプ寺の大きな特徴の一つなのですが、それは施設を教育目的として見学できるようにしていることです。その一環と してエイズ患者さんの承諾の下に、死後のご遺体や体の一部を博物館で展示しています。私の意見ですが、このような展示には何の意味があるのかと考えさせられてしまいました。

 

寄付を募る場所です。

 

多くの観光客が出入りします。

 

日本の医学生も見学に来ていました。

鈴木先生によりますと、ご遺体の展示場は軍人の新人研修として利用されていることがあるといいます。軍人は買春行為に近い位置にいるからです。ご遺体の展示からエイズの恐ろしさを啓蒙し、軽はずみなセックスを防止させようということでしょう。これにはご遺体の展示は意味のあることかもしれません。しかし、それ以外に展示の意味が私には見当たらないように思いました。特に内蔵や手足などの体の一部分の展示にはエイズ啓蒙にも学術的にも何の役にも立たないでしょう。しかしこのことを否定ばかりはできません。

タイには死体を見世物にする習慣は少なくても日本よりは公然とあるようですし(バンコクにあるシリラート解剖学博物館は病院の中に設置され、観光地となっています。そこでは刑事事件や交通事故にまつわる死体の写真や標本が展示されています。私も行きました)、なによりもそれらの展示によって資金を得てこのホスピスは成り立っている側面もあるのです。つまりこの国にはこの国の文化に沿った方法論があり、異文化人である私が自文化の価値観からその是非については言及できないのです。この態度を文化相対主義といいます。

 

エイズ患者さんの足として展示されていました。

 

同じく手です。エイズでない人のものと何も変わりません。

 

博物館には患者さんも入れます。

 

彼女は1968年生まれで2007年3月に39歳で亡くなられました。旦那さんから感染したということです。鈴木先生はパバナプでの彼女の生前を知っているということでした。この博物館にはその他、3体の子供を含めた数体のご遺体が展示されています。

そしてもっと重要なことは、患者さん自身もまた、見物の対象となっていることです。
私は主に重症の患者さんの病棟にいましたが、そこでは今にも息を引き取りそうな呼吸をされている患者さんの横を観光客が覗いていくという光景が普通にあり ました。患者さんをマッサージする私も観光の対象になり、日本語を使うタイ人観光客に話しかけられることもありました。谷口先生も本に書かれていますが、エイズ患者さんの病室としてのこのような環境はとても劣悪だそうです。エイズはHIVというウイルス感染によって体の免疫細胞が壊され、免疫力が低下して いく病気なのです。末期の患者さんは私たちが日常に接触している細菌などの微生物に感染して亡くなることもあるのです。つまり少しのバイ菌も大敵ですので、不特定多数の人が持ち込むバイ菌によって感染の可能性が高くなります。

まし てや、病棟には野良犬や野良ネコもいます。これは仏教的思想の元に許されているのでしょうが、特にネコはトキゾプラズマというバイ菌をもっており、これは エイズ患者さんにとってはかなり危険だそうです。谷口先生は現代医学の先生ですので、現代医学の観点からこのような不衛生な環境を見かねて寺の管理者に環 境改善を直訴しました。しかし全く聞き入れてもらえなかったそうです。その理由は今までそれでやってきたし、何より患者さんが嫌がっていないということな のです。つまりこのホスピスの運営に関する倫理や衛生観念もまた、全てこの国の習慣や常識、宗教観、生命観に基づいているのです。もしこのホスピス運営に問題があると感じるならばそれは、私たち外国人が自国の常識から見たときでしょう。文化や宗教の違いは明らかに病気治療の常識をも変えてしまうのです。この点に触れることができたのは本当によい勉強になりました。

パバナプ寺の紹介の最後に、明記しておかなければならないことがあります。それは私の上記の記述内容についてです。この内容を掲載前に谷口先生にチェックして いただいたところ、パバナプに対して批判的であるというご意見を頂きました。私は、「日本に住む私達が持つあたりまえ」と「タイの人達が持つあたりまえ」の差を強調するあまり、「タイの人達のあたりまえ」に対してやや批判的な表現になってしまったかもしれません。一方谷口先生はパバナプで1ヶ月間をボランティアとして過し、私よりも多くのことを見聞きしています。そして帰国後もパバナプやエイズに関わる活動を継続しておられます。谷口先生は、私の記述に対してバランスをとるために、「患者さんどうしが協力しあって身体的にも精神的にも支えあっていること、寺に来て”生の喜び”を見出した人もいること、観光客との語らいを楽しみにしている患者さんもいること、ボランティアとのふれあいを楽しんでいる人がいること、看護師をはじめとする職員が大変献身的な態度 で患者さんに接していること、世界各国からボランティアが集まり協調性を発揮して奉仕に取り組みそれが患者さんから感謝されていること(この点については 否定的な側面もありますが・・・)、などについても言及されればいかがでしょうか。」という提案をされました。私は谷口先生が示す上記のことを短い滞在時間の中で感じ取ることが出来ませんでした。しかし谷口先生のご指摘もまた真実と捉えます。このような他の視点から対象に光を当てることは異文化について記 述する際に配慮すべき重要な問題です。つまり異文化に対する解釈の切り口は多様にあり、小川が示す切り口は2日間という短い時間に知りえた現実のほんの一 部分であるということです。

 

ネコも生活しています。ネコも「パバナプ寺にたどり着いた者」という仏教的扱いでしょうか。人には感染しませんが、ネコにもエイズウイルスがあるそうです。老衰で死ぬネコの30%ぐらいはこのウイルスが原因だとも言われるそうです。

 

軽症病棟のスタッフ事務所です。窓のこちら側は病棟ですが、やはり犬が放し飼いになっています。

 

ここで亡くなられた引取り手のない人たちの遺骨です。火葬をする機器の導入がされてからこのような袋に入れることがきるようになったそうです。

マキで遺体を 焼いていたときには全て焼ききることができず、途中で遺体を叩き割り、脱穀機のような機械(下図)を用いて遺骨を細かくしていたといいます。

07 マッサージのこと

マッサージがエイズの患者さんにどの程度効果的なのかは私にはわかりませんし、医学的にそれが妥当な治療かどうかも私にはわかりません。しかし、パバナプには エイズ患者さんのマッサージをするボランティアが存在します。また、多くのボランティアはマッサージの専門家ではないにもかかわらず、エイズの患者さんをマッサージしています。エイズ患者さんに対して効果があるのかどうかわからないマッサージをすることにどの様な意味があるのでしょうか?

 


左2枚の写真は私がマッサージを受けています。私がこの寺で最初にマッサージをしたのがアビロ(31歳男性)です。もちろんエイズ患者さんですが、なんと彼はタイ式マッサージの先生だったのです。私は20~30分ほど彼をマッサージしましたが、その後彼は私にベッドに横になるように促すと私が行った時間以上にマッサージをしてくれました。きっと彼は、私の行ったマッサージに対して何かを感じたのでしょう。私はタイ語が話せませんので言葉が通じません。しかし、私たちはマッサージを通じて何かのコミュニケーションを確かにしました。多分、彼は「日本ではそのようにマッサージをするんだね、じゃあ、次は僕がタイのマッサージを紹介しよう!」と伝えたかったのかもしれません。マッサージの文化交流というところでしょうか。

 

彼の名前はブンチュア、44歳。タクシードライバーだったそうです。彼は1年以上もこの寺にいるそうで最も古い患者の一人だそうです。ということは、ここは重症患者さんの病棟ですので、多くの方は1年以内に亡くなるということになります。彼は強い目のマッサージを好むということですので強い目にマッサージをしました。

 

彼の名前はパノム。36歳です。彼の左半身は麻痺していますが、これはHIVのせいでしょうか?HIVが脳に感染すると麻痺を起こすという情報を帰国後インターネットから得ました。しかしそのような情報は、この寺では何の役にも立ちません。ここは病院ではありませんので、診断や治療はしないのです。よって積極的な治療もありません。この麻痺に対する解釈について彼は、「お酒を飲んで朝起きたらこのようになっていた、酒の飲みすぎが原因であるがエイズとも関係があるだろう」と鈴木先生の通訳を通して話していました。他の患者さんと話している最中に彼は私と鈴木先生に向かって、「日本ではナイキのスニーカーが手に入るだろ、赤がいいな、サイズは9だよ。日本に帰ってまたこっちに帰ってくるときに買ってきてよ」とおねだりをしていました。彼は私と同じ36歳です し、スニーカーに興味を持っているところに何だか親近感を感じました。

 

パノムの右太ももにあるいれずみを見せてもらいました。タイではいれずみを入れることは立派なエイズ感染ルートとなっています。彼はこのいれずみについて、「後悔しているよ。美しくないからね。これは酒に酔った勢いで友達に彫ってもらったんだ。」と言っていたそうです。

 

彼女の名前は、調べることができませんでした。彼女は首から肩・右腕の痛みを訴えています。私はエイズの診察をすることはできませんが、首から肩・腕の痛みについてはその原因に見当をつけることができます。鈴木先生に通訳をしてもらい、原因をいろいろ考えてみました。彼女は少し前にベッドから転落したことがあるといいます。しかし、転落によるケガの痛みではなさそうです。彼女の肩はまるで五十肩の患者さんのように固まっていました。見るところ、私よりも若そうなのに。患部は腕の方まで腫れて発熱しています。もしかするとこれは腫瘍ではないでしょうか?免疫力が低下するエイズ患者さんは腫瘍が発症しやすいといわれます。この腫瘍は私の感想ですので実際には検査をしないとわかりません。しかし、ここはお寺です。また、腫瘍だと診断がついたとしても手立てはありません。現代医学的な診立てはここではあまり意味を持たないのです。患者さんがどのようにエイズと向き合うのか、それが最も重要な問題でしょう。

 

彼女の名前はオーン、31歳です。彼女はパバナプの患者さんの中で最も英語を話すことができる人だそうです。その日、私たちはオーンのベッドサイドで1時間ほどおしゃべりしたでしょうか。私は英語をほんの少し理解できる程度ですので、彼らの話の内容を十分には理解できていません。しかし、ここで彼女が話した内容に私は中途半端の理解ながらとても心を打たれました。彼女は旦那さんがHIVに感染しており、旦那さんとの性交渉で感染したそうです。そして彼女の子供も出産時に感染しました。彼女の旦那さんと子供は既に亡くなられています。彼女は旦那さんのエイズによって家族の幸せを失ったばかりか人生をも失おうとしているのですが、旦那さんを恨んではいないようです。彼女ははっきりとそして力強く「今でも彼を愛している」と話していました。私はその言葉を聞いて、なんとも言えない気持ちになりました。そう感じたのは、彼女がまだ過去の人生に未練があると感じたためだと思います。ここはホスピスですので、エイズを完治させる場所ではなく、残りの人生を充実させる場所なのです。とはいえ、もちろんここにいる全ての患者さんが自分の人生を受け入れているわけではないでしょう。きっと、葛藤の中にいる方のほうが多いと思います。しかし、彼女はその葛藤状態を露骨に我々に表したのです。彼女はパバナプで知り合った友達や自分の死をscary(スケアリー;怖い・恐ろしい)と連発して表現していました。彼女とこのようなお話しをした後に、私は彼女に対して親近感を感じました。この感覚は私が当院へ来院される患者さんに感じるものと同じ感覚です。つまり、患者さんが持つ過去の経験を共有できた瞬間です。このような共感は、痛みやストレス症状などの主観的症状対して医学では説明付けることができないなんらかの効果をあらわすと私は信じています。

08 終わりに

今回の旅の目的は「治療者(私)にとっての常識」や、「治療者(私)が今まで学んできたこと」が絶対ではないと身をもって経験することでした。その目的通り、4日間のタイでの経験では食文化、生活習慣、死生観その他さまざまな常識の違いを足がかりに、治療者としての常識を再考する機会を得ることができました。

実は私は以前から、マッサージや鍼治療、カイロプラクティックやハーブ治療などの効果については、治療者が前提とするのではなく、患者さんが感じ取るものであると思っています。この旅を通じてこのような記述ができたことにとても満足しています。

そして、このような考えに至ることができたのは、日頃の患者さんとのお話の中で私が感じた疑問や興味のおかげです。つまり、患者さんのおかげです。ありがとうございました。そして、このような考えを深める道へ誘って下さいました早稲田大学人間科学学術院准教授の辻内先生・および私の教育コーチである鈴木先生に感謝いたします。今回の旅は本当に勉強になりました。

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