タイ・パバナプ(エイズ寺)訪問記
01 鍼灸・柔道整復師(鍼灸院・接骨院で働く者)が
なぜ勉強のためにタイ・パバナプ(通称エイズ寺)へ行くのか?
Aさん:「え!お盆休み長いねー、先生、海外旅行でも行くの?」
小川:「すみません・・、タイへちょっと勉強に・・・」
Aさん:「え?タイ? 家族も?」
小川:「いえ、僕一人で」
Aさん:「マッサージの勉強?」
小川:「ああ・・、それもですけど・・、エイズの患者さんを見学しに・・」
Aさん:「え!エイズ? なんで?」
小川:「それは・・・・・・・」
上記の会話はお盆休みに関して多くの患者さんと行われた代表的なものです。整骨院で働く者がタイで何を学ぶことがあるのでしょうか?多くの患者さんもこのように考えていると思います。日本の鍼灸院・整骨院では、制度的にはエイズ患者さんを治療する機会はありません。しかもたった4日間(ボランティアは実質2日)しか滞在しないのです。それにもかかわらず私はタイへ行ってきました。患者さんから長い期間のお休みを頂いたのですから、私には「なぜタイで勉強するのか」を説明する義務があると思います。
02 出発前の機内にて
03 旅の目的
今回の旅では多くのカルチャーショックを受けました。そのうちの一つは食文化です。左の写真は調理されたサソリです。私はこれを食べました。カラッと油でよくいためているので臭みなどはありません。サソリは食べ物ではないというのは私たちの文化の常識であって、タイの常識では立派な食べ物なのです。鈴木先生 は「どの虫も味付けが同じなので同じ味がする」と言っていました。
コオロギのようです。
サソリのしっぽが口から出ています。
この太った野良犬は死んでいるのではありません。道端で寝ているのです。全ての生き物に慈悲深いタイ人の国民性が野良犬を太らせるのでしょう。つまりえさをもらう機会が多いのです。もちろん他の犬も太っていました。
この親子は路上で生活しているのでしょうか。物乞いしている母親の横で子供は眠っています。小銭を渡して「写真を撮っていいか」と鈴木先生に通訳してもらうとすぐにOKが出ました。写真を撮っていいかと考えるのは日本から来た私の倫理観からですが、彼女にはそのような倫理観よりも生きるためのお金が必要なようです。
このトイレは一見して水洗便所のように見えます。しかし、水洗ではありません。便器の右にある黒いバケツに水を貯めておき、用を足した後には洗面台の奥に置いてある容器でバケツの水を汲み、うんちや尿を流します。お尻の始末には紙は使いません。左にあるホースの先はシャワーになっていてそれでお尻を流します。流した後はタオルでふき取ります。私は慣れるまでにもう少し時間が必要と感じました。
04 旅のきっかけ
05 タイのエイズに対する偏見とパバナプ寺(エイズ寺)の存在
タクシーの中で写真を撮りました。フロントにはお守りの置物があります。
そして天井には護符、
06 世界最大のエイズホスピス、パバナプ寺
ロッブリーの街中。これも遺跡でしょうか?バンコクと比較すればここは片田舎のように感じられます。
大通りからパバナプ寺へ向かう一本道。この道にエイズの子供が捨てられるということがあるそうです。
道路から見えるパバナプ寺。畑の中の道を通って山の中にあるのがわかります。
寄付を募る場所です。
多くの観光客が出入りします。
日本の医学生も見学に来ていました。
エイズ患者さんの足として展示されていました。
同じく手です。エイズでない人のものと何も変わりません。
博物館には患者さんも入れます。
彼女は1968年生まれで2007年3月に39歳で亡くなられました。旦那さんから感染したということです。鈴木先生はパバナプでの彼女の生前を知っているということでした。この博物館にはその他、3体の子供を含めた数体のご遺体が展示されています。
ネコも生活しています。ネコも「パバナプ寺にたどり着いた者」という仏教的扱いでしょうか。人には感染しませんが、ネコにもエイズウイルスがあるそうです。老衰で死ぬネコの30%ぐらいはこのウイルスが原因だとも言われるそうです。
軽症病棟のスタッフ事務所です。窓のこちら側は病棟ですが、やはり犬が放し飼いになっています。
ここで亡くなられた引取り手のない人たちの遺骨です。火葬をする機器の導入がされてからこのような袋に入れることがきるようになったそうです。
マキで遺体を 焼いていたときには全て焼ききることができず、途中で遺体を叩き割り、脱穀機のような機械(下図)を用いて遺骨を細かくしていたといいます。
07 マッサージのこと
マッサージがエイズの患者さんにどの程度効果的なのかは私にはわかりませんし、医学的にそれが妥当な治療かどうかも私にはわかりません。しかし、パバナプには エイズ患者さんのマッサージをするボランティアが存在します。また、多くのボランティアはマッサージの専門家ではないにもかかわらず、エイズの患者さんをマッサージしています。エイズ患者さんに対して効果があるのかどうかわからないマッサージをすることにどの様な意味があるのでしょうか?
左2枚の写真は私がマッサージを受けています。私がこの寺で最初にマッサージをしたのがアビロ(31歳男性)です。もちろんエイズ患者さんですが、なんと彼はタイ式マッサージの先生だったのです。私は20~30分ほど彼をマッサージしましたが、その後彼は私にベッドに横になるように促すと私が行った時間以上にマッサージをしてくれました。きっと彼は、私の行ったマッサージに対して何かを感じたのでしょう。私はタイ語が話せませんので言葉が通じません。しかし、私たちはマッサージを通じて何かのコミュニケーションを確かにしました。多分、彼は「日本ではそのようにマッサージをするんだね、じゃあ、次は僕がタイのマッサージを紹介しよう!」と伝えたかったのかもしれません。マッサージの文化交流というところでしょうか。
彼の名前はブンチュア、44歳。タクシードライバーだったそうです。彼は1年以上もこの寺にいるそうで最も古い患者の一人だそうです。ということは、ここは重症患者さんの病棟ですので、多くの方は1年以内に亡くなるということになります。彼は強い目のマッサージを好むということですので強い目にマッサージをしました。
彼の名前はパノム。36歳です。彼の左半身は麻痺していますが、これはHIVのせいでしょうか?HIVが脳に感染すると麻痺を起こすという情報を帰国後インターネットから得ました。しかしそのような情報は、この寺では何の役にも立ちません。ここは病院ではありませんので、診断や治療はしないのです。よって積極的な治療もありません。この麻痺に対する解釈について彼は、「お酒を飲んで朝起きたらこのようになっていた、酒の飲みすぎが原因であるがエイズとも関係があるだろう」と鈴木先生の通訳を通して話していました。他の患者さんと話している最中に彼は私と鈴木先生に向かって、「日本ではナイキのスニーカーが手に入るだろ、赤がいいな、サイズは9だよ。日本に帰ってまたこっちに帰ってくるときに買ってきてよ」とおねだりをしていました。彼は私と同じ36歳です し、スニーカーに興味を持っているところに何だか親近感を感じました。
パノムの右太ももにあるいれずみを見せてもらいました。タイではいれずみを入れることは立派なエイズ感染ルートとなっています。彼はこのいれずみについて、「後悔しているよ。美しくないからね。これは酒に酔った勢いで友達に彫ってもらったんだ。」と言っていたそうです。
彼女の名前は、調べることができませんでした。彼女は首から肩・右腕の痛みを訴えています。私はエイズの診察をすることはできませんが、首から肩・腕の痛みについてはその原因に見当をつけることができます。鈴木先生に通訳をしてもらい、原因をいろいろ考えてみました。彼女は少し前にベッドから転落したことがあるといいます。しかし、転落によるケガの痛みではなさそうです。彼女の肩はまるで五十肩の患者さんのように固まっていました。見るところ、私よりも若そうなのに。患部は腕の方まで腫れて発熱しています。もしかするとこれは腫瘍ではないでしょうか?免疫力が低下するエイズ患者さんは腫瘍が発症しやすいといわれます。この腫瘍は私の感想ですので実際には検査をしないとわかりません。しかし、ここはお寺です。また、腫瘍だと診断がついたとしても手立てはありません。現代医学的な診立てはここではあまり意味を持たないのです。患者さんがどのようにエイズと向き合うのか、それが最も重要な問題でしょう。
彼女の名前はオーン、31歳です。彼女はパバナプの患者さんの中で最も英語を話すことができる人だそうです。その日、私たちはオーンのベッドサイドで1時間ほどおしゃべりしたでしょうか。私は英語をほんの少し理解できる程度ですので、彼らの話の内容を十分には理解できていません。しかし、ここで彼女が話した内容に私は中途半端の理解ながらとても心を打たれました。彼女は旦那さんがHIVに感染しており、旦那さんとの性交渉で感染したそうです。そして彼女の子供も出産時に感染しました。彼女の旦那さんと子供は既に亡くなられています。彼女は旦那さんのエイズによって家族の幸せを失ったばかりか人生をも失おうとしているのですが、旦那さんを恨んではいないようです。彼女ははっきりとそして力強く「今でも彼を愛している」と話していました。私はその言葉を聞いて、なんとも言えない気持ちになりました。そう感じたのは、彼女がまだ過去の人生に未練があると感じたためだと思います。ここはホスピスですので、エイズを完治させる場所ではなく、残りの人生を充実させる場所なのです。とはいえ、もちろんここにいる全ての患者さんが自分の人生を受け入れているわけではないでしょう。きっと、葛藤の中にいる方のほうが多いと思います。しかし、彼女はその葛藤状態を露骨に我々に表したのです。彼女はパバナプで知り合った友達や自分の死をscary(スケアリー;怖い・恐ろしい)と連発して表現していました。彼女とこのようなお話しをした後に、私は彼女に対して親近感を感じました。この感覚は私が当院へ来院される患者さんに感じるものと同じ感覚です。つまり、患者さんが持つ過去の経験を共有できた瞬間です。このような共感は、痛みやストレス症状などの主観的症状対して医学では説明付けることができないなんらかの効果をあらわすと私は信じています。