腰痛が意味付けによって創られる① 【大阪 平野区 生野区 南巽 整骨院】

これまで、腰痛は意味付けられるものという

お話の展開をしてきました。

 

 

 

「腰痛」を中心に話を展開してきましたが、

意味付けられるのは腰痛に限らず、様々な病気

は意味付けの対象となります。

 

 

 

病気だけではありません。すべてのモノは意味

付けられているのです。

 

 

 

なんだか、哲学的で難しくなってきました。

もう少しおつきあいくださいね。

 

 

 

私たちはすべてのモノを意味付けています。

このことがあまりにも当たり前のことなので、

意識していない、できていないだけなのです。

 

 

 

だから、「意味付けが悪いことなのか?」と

いう前回のブログで私が設定したこの問題自体

は全く意味がないことなのです。

 

 

 

私たちの身の回りのものはすべて意味付けられ

ているのですから。

 

 

 

そしてその意味に従って私たちは行動している

のです。

 

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例えば、

 

2本の細長い20センチ程度の棒は一組のお箸かも

しれませんし、2本の鉛筆かもしれません。

 

 

 

2本の鉛筆を使ってごはんを食べる人はいません

よね。2本の棒だからどっちもお箸のように使う

ことができるにもかかわらず、決して鉛筆で

ごはんを食べないのは、鉛筆にはごはんを食べる

道具としての意味付けがなされていない

(鉛筆は文字や絵を紙に書く道具と意味付け

られている)からです。

 

 

 

このようにすべてのモノには意味付けがなされ

ていて、私たちはそのことを意識せずに、

その意味に従って行動しています。

 

 

 

ここで腰痛の意味付けに話を戻します。

 

 

 

腰痛は痛み感覚であり、物質ではありません。

感覚なのです。感覚は目に見えず、人によって

感じ方が様々であり、つかみどころがない

ものです。

 

 

 

つまり当事者のみがわかる主観的なものです。

 

 

 

この感覚に対して、お箸や鉛筆のように意味を

付けることは非常に難しいことではないで

しょうか?

 

 

 

鉛筆に「鉛筆」という名前と意味を付けて、

今度からこれを鉛筆とよびましょう!と決まり

事を作ってその物体を次から「鉛筆」と呼ぶ

ことは簡単なことです。目に見えるもの、

形のあるものだから鉛筆と呼ぶ際に確認できる

のですから。

 

 

 

しかし、腰痛は「腰にやってくる痛み感覚」

なので、この程度の意味付けを行うことはでき

ますが、それ以上の詳細な共通の意味付けは

難しくなります。

 

 

痛み自体が何なのかが確認できないためです。

 

 

 

無理やりに何等かの意味付けを行ったとすると、

それは、感覚と名前の間で不適合が起きること

になります。それは次のようなことです。

 

 

 

治療者:

「あなたの腰痛は背骨のゆがみが原因で生じて

いますね。背骨のゆがみを治しましょう」

 

患者:

「え、背骨がゆがんでこんな痛みが出るの?

私の痛みは筋肉の血流が悪くなって起きている

痛みなのに?前に診てもらっていた先生はその

ように説明してたし、レントゲンを撮っても

腰骨には異常がないと言われたので筋肉に原因

があるはずではないの?実際に痛いのは筋肉

だし・・・」

 

 

 

「腰の痛み」という対象に対して、治療者は

「背骨のゆがみ」を意味付けましたが、この

患者さんは「筋肉の血行不良」と意味付けして

いたのですね。

 

 

 

痛みが目に見えないモノであるために、鉛筆の

ように目で見て確認することはできません。

 

 

 

よって、感覚に与えられる意味付けは人に

よってバラバラで統一性のないものとなるの

でこの会話の通りの意味付けのくい違い

が生じるのです。

 

 

 

私たちにとっては、個人差が大きい腰痛という

感覚についていろいろな意味付けがなされること

はむしろ当然のことなのです。

 

 

 

しかし私たちは多くの情報(意味付け)の

中で「いったい何が正しいの?」と考えてし

まいます。

 

 

 

このように考えてしまう理由は私たちの考え方

にあります。

 

 

 

多くの人は

 

「腰痛とは人間の腰の部分で何らかの異常が生じ

ていて、その異常を正常な状態に戻すことで完全

に元通りになってくれる」

 

というイメージを抱いているのでしょう。

 

 

 

なぜなら、「車が故障したときに故障した部品

を見つけ出して、その部品を交換することで

故障が直る」

 

 

 

というような単純なイメージでもって、自分の

腰痛も原因を見つけて手っ取り早く治してほしい

と願うためだと考えられます。

 

 

 

そして、どうしてもこの願望に支えられた

イメージが強く頭のなかにあるために、腰痛に

対しては様々な解釈の仕方があることを受け

入れられないのでしょう。

 

 

 

以上、腰痛は痛み感覚であり、その意味付け

は個人によって様々であるということを述べ

ました。

 

 

また、意味付け自体は悪いことではなく、

むしろ当然であることも述べました。

 

 

 

付け加えるのであれば、悪いのは

 

「腰痛への意味付け」

 

ではなく、

 

「腰痛を単純化して考えてしまうこと」

 

です。

 

 

これからは、腰痛の意味付けの仕組みにおいて、

よい意味付けが治療効果を高めることをお話し

ていきたいと思います。

 

 

 

しかしそのためには、物質としての腰痛の捉え方

にも言及しておく必要がありますね。

 

 

 

だから次回は、医学的な腰痛について説明する

ようにしましょうか。

 

 

 

(つづく)

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小川 貴司(おがわ たかし)

「どこに行ってもよくならない」「自分の症状を何とかしたい」「症状のない以前の生活に戻りたい」とお困りの方、どのような症状でも一度ご相談ください。院長紹介はこちら

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